0923-0923のブログ

趣味で作った紙芝居

晩年の南条時光

24歳で一命をとりとめた南条時光!大願に立つ、使命に生きる大聖人との誓い。
32歳で広布の坊が次々に建設される。大聖人がお亡くなりになってからは日興上人の指導につき、使命を果たしていく。
縁側で信心の話を聞く、農民信徒。親しい友人も来た!こうして南条時光は50年も長生きしました。
積み重ねた信心の話は、門下や弟子、信徒に明日を生きる力が湧き上がるものです。

大聖人の住まい

弘安5年の冬、大聖人は重い病になりながらも、渾身のちからで筆をとって門下の南条時光にお手紙をおくられました。
降雪で屋根はおしつぶれそう、建具はきしみ、冷たい空気にさらされ、食料は底をつき、着るべき衣は蓑(みの)をあおり、夜は鹿の皮を敷いて寝て、水は無く雪を食すとある。

大聖人は生きていく上で食に対する闘いでもあった。むかしの身延にある庵は険しい地形にあり豪雪になると山道は閉ざされ極めて困難な住まい(庵)におられたのです。
※画材はクレヨン

南条時光の幼いころ

最初の一枚目にもどります。父(南条兵衛七郎)が亡くなり、わざわざ鎌倉から大聖人が追善供養に参られた時、はじめて出会い、しょぼくれていた時光に、信心の灯(ひ)をつけてくれた。なんて温かいお人柄なんだろう!時光は母の上野尼に育てながら、こころを広く持って元気な笑顔で、信心を持って立派な少年剣士になっていきますが、信心???ぜんぜんどういうものか!わかりません。しかし、母(上野尼)の教育で礼儀作法を学びながら一生懸命努力して行きました。
※前書きとして亡き父は今で言う伊豆の国市(韮山)から幕府の命で、富士宮の上野郷に転属され地頭職(今で言う県知事です)元は平氏の出で主家して鎌倉幕府に使え、やっと
おもいで実力者となった。大聖人の門下としては武家の中で信心を保つ有力な3人の一人です。


私はこの紙芝居を座談会でおこなったのですが、僕は源氏ですと言ったら、わたしは平家です!と。けっこう芝川はむかしから平家を名乗る部落が多いのにおどろきました(笑い)今は平和になったから私が上で、あんたが下ということはないですよ。そんなことをいうのは「極悪日顕だけ」許されないです。まったくよう!いま、なにやってんだろう???正義は受けつがなければなりません!。貫く大義800年にもなるかのう。


自作の水彩画四つ切画用紙に、裏地はベニヤ板に糊付けしました。